主観「だけ」で生きる社会人による残念な発言
似たような趣旨の発言はいろんなところでチラホラ見かけるのだが、代表的なものを見つけたので紹介しよう。
Twitter / Yugo Nakamura
・・・って感じで、セルカンさん事件は前から知ってたけど、嘘を見破って嬉々としてる側の方が感じ悪いわ。面白くて良い影響与えてるならいいじゃんよ。たとえ嘘でも。 ってことは多々あると思うけど。
筆者のこの記事を見ての感想らしき発言が 「セルカンさんとても面白い人だった。しかしここまで面白人間だったとは!」で、その直後の発言が、上記である。
のび太君が食べ切れなくて机に隠した給食パンをスネ夫が見つけた話ではなく、 公文書偽造に科研費の不正請求に東大の博士論文の捏造が根底なのですが?といったマジレスはさておき。同記事にはこういう事態のときの筆者の個人的心境として「知らぬが仏、で済ませられる限度を残念ながら超えてしまった場合に仕方なく真相を告げたときの彼らの落胆とむなしさと怒りの一次窓口をなんで俺がやらなあかんのかと。」と書いた。感じ悪いですかそうですか。ならこの役お前やれと。
そもそも1ヶ月以上前に書いた同記事について、その最初の三分の一程度はお読みいただけたようですが、その題名はお読みいただけなかったようです。 こちらのボクもそうなのだが、 どちらの方も、「やり場のない落胆とむなしさと怒りの一次窓口」として筆者を選択し連絡を下さった方による情報をもとにした、ごく最近(っていうか昨日)書いた記事のほうはやはりお読みいただけていなかったようで残念です。 そこで、改めておうかがいしよう。
おまえちょっと言い過ぎでないんかい調子にのんなよとか言い出す方には逆にこっちが聞きたい。「セルカン先生ありがとう」が開催されました(エルアースクラブ主催)とかいう写真に写っている子供たちにあなたならどう説明する?この状況で俺は関係ないとか知らぬが仏といったセリフを口に出すのは実は都合の悪いところだけを責任放棄宣言してるに過ぎない。
類はカモを呼ぶ - セルカンカレッジ静岡に集まった人々とは(2009/11/24)より。
追記:
『「面白くて興味をそそればいいじゃんよ、嘘を見破って喜ぶやつキモイ」っていう反応は、「水からの伝言」を初見した人が「たとえ嘘でもグリム童話というか道徳みたいな話なんだからいいじゃん別に。」みたいな感想を言うパターンに似ているね』 というつぶやきを見かけた。言われてみれば確かにそのとおり。そんな状況だからこそ直接なんの関係も無いはずの学者さんが「水からの伝言を信じないでください」と呼びかけることでまともな学者としての責任を果たそうとしているわけだ。誰かに頼まれたわけでもなく一文にもならんのに。こういう学者のことを皮肉抜きで漢と言うのであり、皇室御用達の教育機関なめんな。ただしそれに比べて俺の文章の書き方がそもそもお下品だというご意見には返す言葉もございません。(笑)

コメント
中村勇吾さんのツイート、まったく同意できませんが...
叩いてる2ちゃんねらが「感じ悪い」っていうのは理解できなくもないかも。道義的に悪いとかいうんじゃなくて「感じ悪い」っていう表現がポイント。2ch慣れしてないと、あの雰囲気には引くかも。叩きを楽しんでいるユーザも全くいないわけではないし。
Posted by 通りすがり at 2009年11月27日
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